復興支援を建前に、東日本大震災の被災地を中心に旅してきました。
1.世界遺産 平泉中尊寺金色堂
太平洋沿岸への通り道で立ち寄りました。
とても綺麗でしたが、金色堂自体が建物の中にあり、ちょっと興ざめでした。
保存を優先するので仕方ないですね。
とても綺麗でしたが、金色堂自体が建物の中にあり、ちょっと興ざめでした。
保存を優先するので仕方ないですね。
でも世界遺産だけあってお見事でした。
「金色堂が復活するまで」を記録したビデオを、金色堂を見た次の順路で上映していました。
「金色堂が復活するまで」を記録したビデオを、金色堂を見た次の順路で上映していました。
復刻のための時間と労力が莫大にかかっているのです。
このビデオを見てから再度金色堂を見ると世界遺産となったことに更に納得しました。
このビデオを見てから再度金色堂を見ると世界遺産となったことに更に納得しました。
金色堂は撮影禁止のためパンフレットが写真代わりです。
2.岩手県陸前高田市訪問
自らの未交信地区だったことが訪問のきっかけとなったことは内緒です。
この地を訪れてまず驚いたのは、辺り一面更地だったのです!
更にナビが役に立たないのです!
ナビが案内する道を走ろうにも道がないのです!
復興工事で道が頻繁(1ヶ月単位?)に変わるためナビの更新が追いつかないからだそうです。
震災後、7年以上経て復興中だったことに驚きました。
この日は陸前高田で宿を取り、夜に少しだけ無線やりました。
この地を訪れてまず驚いたのは、辺り一面更地だったのです!
更にナビが役に立たないのです!
ナビが案内する道を走ろうにも道がないのです!
復興工事で道が頻繁(1ヶ月単位?)に変わるためナビの更新が追いつかないからだそうです。
震災後、7年以上経て復興中だったことに驚きました。
この日は陸前高田で宿を取り、夜に少しだけ無線やりました。
(交信結果)
2018.07.15 Sunday
釣り竿短縮バーチカルにて運用
JCC0311 岩手県陸前高田市
クラスターに登載いただきました。
ありがとうございました。
まだまだ復興半ばです。
赤い看板のてっぺんまで津波が押し寄せました。
翌日は「奇跡の一本松」や「三陸鉄道」など震災関連を見て勉強させていただいました。
ホテルの従業員や観光施設等の方々から震災時の体験談をヒアリングできました。
テレビや雑誌では公表されていないような話を聴けました。
被災者ひとりひとりで震災への思いが異なることを学びました。
奇跡の一本松
三陸鉄道南リアス線 始発駅 盛駅
3.宮城県塩竈(シオガマ)市訪問
陸前高田から太平洋沿いに南下して宿をとった塩竈を目指しました。
塩竈への道中、気仙沼で遅い昼食をとりました。
日本有数の漁港であり、新鮮な魚介類がおいしかったです。
ちょうど「かつお祭り」なるものが開催されており、新鮮なかつお料理を口にすることができました。
かつおづくし定食のハラスが超うまかったです!
塩竈への道中、気仙沼で遅い昼食をとりました。
日本有数の漁港であり、新鮮な魚介類がおいしかったです。
ちょうど「かつお祭り」なるものが開催されており、新鮮なかつお料理を口にすることができました。
かつおづくし定食のハラスが超うまかったです!
かつお祭り
塩竈といえば「寿司」だそうです。
ここでも復興支援です。
お寿司、おいしかった~!
ここでも復興支援です。
お寿司、おいしかった~!
すし哲
夜にホテルの駐車場から少しだけ無線やりました。
8階(?)建てのホテルの隣の駐車場からの運用でロケいまひとつでした。
8階(?)建てのホテルの隣の駐車場からの運用でロケいまひとつでした。
(交信結果)
2018.07.16 Monday 海の日で祝日
3.5MHz Mobile Whip HR3.5
7MHz 短縮釣り竿バーチカル
JCC0603 宮城県塩竈市
4.松島観光・宮城県亘理郡亘理町訪問
翌日は京都府宮津市「天の橋立」、広島県廿日市市「宮島(厳島神社)」と並ぶ、
日本三景である宮城県宮城郡松島町の「松島」を観光しました。
ここも東日本大震災で影響で島の形が変わったりしだそうです。
でも私が感じたことですが、陸前高田や気仙沼よりも復興が進んでいると感じました。
観光地だからかな?
日本三景である宮城県宮城郡松島町の「松島」を観光しました。
ここも東日本大震災で影響で島の形が変わったりしだそうです。
でも私が感じたことですが、陸前高田や気仙沼よりも復興が進んでいると感じました。
観光地だからかな?
松島
次に向かったのは宮城県亘理郡亘理町です。
ここは無線復活前の2012年に復興ボランティアで訪れた街です。
防潮林の植樹をお手伝いしたのでした。
防潮林にはいつだれが植樹したかを名札つけておくとのことで今回訪問のきっかけとなったのです。
残念ながら年月が経ち、わからなくなっていました。
でも関係者しか入れない植樹地帯を案内していただきました。
苗が防潮の役目を果たすくらいに成長するには30年はかかるとのことでした。
それまでに大津波がやってこないことを祈るばかりです。
防潮林の苗の里親を引き受けてきました。
ここは無線復活前の2012年に復興ボランティアで訪れた街です。
防潮林の植樹をお手伝いしたのでした。
防潮林にはいつだれが植樹したかを名札つけておくとのことで今回訪問のきっかけとなったのです。
残念ながら年月が経ち、わからなくなっていました。
でも関係者しか入れない植樹地帯を案内していただきました。
苗が防潮の役目を果たすくらいに成長するには30年はかかるとのことでした。
それまでに大津波がやってこないことを祈るばかりです。
防潮林の苗の里親を引き受けてきました。
亘理町訪問後、隣町の亘理郡山元町も訪問しました。
2012年にガイドさんに案内いただいた小学校が遺校として残すことが決まったそうです。
ここも松島以外の地区と同じく復興半ばで、ショベルカーなどの重機がフル回転で運転中でした。
2012年にガイドさんに案内いただいた小学校が遺校として残すことが決まったそうです。
ここも松島以外の地区と同じく復興半ばで、ショベルカーなどの重機がフル回転で運転中でした。
5.帰路
この日は仙台で宿泊し、翌日東北自動車道で帰路につきました。
復興支援がテーマの旅行であるならば常磐道を通って帰ってくるべきだったのでしょうが、
無線を優先してしまいました。
常磐道よりも東北道の方がレアな地域が多いと感じたからです。
陸前高田、塩竈以外ではNo RadioだったのでSA,PAから無線を楽しみました。
その様子は2つ前の記事で投稿したとおりです。
http://jl1lof.livedoor.blog/archives/18611894.html
被災地を訪れて宿泊したり食事したりお土産を買うことで復興支援になっていれば幸いです。
http://jl1lof.livedoor.blog/archives/18611894.html
被災地を訪れて宿泊したり食事したりお土産を買うことで復興支援になっていれば幸いです。
防潮林の苗が育った際は再度訪問して植樹でお手伝いしたいです。
とても勉強になった旅行でした。
とても勉強になった旅行でした。